國際交流

林楚玲 / 香港

 

                                             林楚玲 / 香港

 

                                              駐村時間: 2014

 

  文:林楚玲  圖:竹南蛇窯

   

8月5日、大雨が降る。ザァーザァーと降る雨音を聞くのは久しぶりだ。準備は整った。夕方には窯に火を入れて窯焼を始める。6月、私は仕事を辞め、旅行カバンをひとつ下げて機上の人となり、香港から台湾の竹南蛇窯へやって来た。ここで私のレジデンス・アーティストの生活が始まった。これまでの1ヶ月半は、この場所が私に与えてくれた創作のスペース、陶芸の知識、思考の啓発を感じ取っていた。それらすべてが、すでに作品となって窯に入れられ、3日間の火の洗礼を受けようとしている。火を入れる前の雨は、この窯の作品への前奏であり、この窯焼きが心地よく進められるよう8月の灼熱を冷却してくれた。大地からの恵みであるこの土地のすべて、太陽と雨に感じ入る。

香港の居住環境は、薪窯を築くのに適さない。学校でも電気窯しか使ったことがなく、薪焼きをテーマに創作をすることは至難の業であった。過去に薪焼きの陶器は日常生活の必需品であった。台所の道具から大型の酒甕まで、今日では衰えつつも、薪焼きは独特の美感と個性を放っている。個人的に薪焼きに惹きつけられるのは、窯焼き時の灰が陶器の上に落ちて、釉となり、陶器に純朴で厚みのある衣装を着せることである。田畑で懸命に働く農民の皮膚の色のような、あのたっぷりとした飾らない釉の色が大好きである。それは大地から与えられた証なのである。

滞在期間、私は5つのテーマで創作を行った。工具(手)、宝物、月を探して、台湾製造(Made in Taiwan)、ろくろ日記。「台湾製造」の組作品は、創作には初心を保ち続けるという駐村時に深く胸に刻まれた想いがある。単純に好きだという最初の状態を永遠に保ち続けること。凝り固まった自分の考えに囚われないこと。

制作に行き詰ったある夜、私は夢を見た。56歳くらいの幼い私は、制服をきちんと着て、黒い革の靴を履き、カバンを背負って、好奇心満々で学校に行くところだった。目が覚めた時、あの靴がまだ頭の中に残っていて、靴は私に初心を思い起こさせた。一番最初の単純に好きだという気持ちを持ち続けて制作する。子供のような汚れのない純粋な欲望を以って。この作品は11足の異なる子供靴による組作品となった。異なる土を使い、香港の友人に子供の靴の写真を送ってもらって参考にし、私は焼きあがる作品に期待を膨らませていた。

「工具」は、まず先に香港で12人の友人の両手の型を石膏で作り、泥漿を注いで陶器の手を作った。これらの友人たちとは長い付き合いで、多くの時間を共有し、私が辛い時も楽しい時も寄り添い、分かち合った。他の駐村陶芸家は、自分の工具といえば、陶芸ナイフや木刀などであるが、私の魂の工具とは、これら12名の友人たちの陶の手であり、駐村期間中、私は彼らの応援を感じ取っていた。

「月を探して」と「ろくろ日記」では、駐村期間、時に私は一人で静かに蛇窯の庭を散歩したり、芝生に座って心を落ちつけたりしていた。そんな時に月に想いを馳せた。仕事場にたくさんあるのは、空の陶器の瓶であり、その瓶の口は黒く丸く、満月にそっくりだった。ろくろは根気と忍耐の訓練が必要な技術である。正円に陶器を引くのは容易なことではない。空の月のように永遠につかまらない。また努力すれば満足な作品ができるとも限らない。私にとってはどちらも抽象である。
 

「宝物」

この文章を書いている時、作品はまだ焼き上がっていなかったので、満足がいく作品ができたかどうか分からない。しかし駐村期間に見たこと学んだこと、すべては一生の宝になることであり、蛇窯は薪焼き制作の機会を与えてくれただけでなく、あるメッセージを持っていた。大地を資源とする薪焼きは、土を採り、海岸で流木を拾ったり、材木屋で端材を買ったり、薪を燃やすまでのすべての過程に一貫して「環境保護」への想いがある。この大地のすべてを珍重し、地球が与えてくれた資源を十分に利用する。それによって作品はその属性と感知を得るのである。

実り豊かな旅も終わりに近づき、香港での都会の生活に戻らなければならない。蝉の声を聞く時、私は竹南蛇窯で過ごした愉快な暑い夏の日々を思い出すだろう。竹南蛇窯とお手伝いくださったスタッフの皆様に厚く感謝を申し上げます。