竹南の蛇窯
蛇窯について

歷史

「竹南蛇窯」は民国61年(1972年)に創立した。原名は「恒発陶磁工場」という。創始者、林添福は当時9人の職人と一頭の牛を引き連れ、自ら3000個のレンガを製造して、長さ25メートルの蛇窯(現在は20mに縮小)を9日間で完成した。主に植木鉢を生産した。「竹南蛇窯」は台湾にわずかに残る蛇窯の中でも、保存が完全で、かつ今でも使える伝統的な蛇窯である。

「竹南蛇窯」は1980年代、伝統陶業から民俗工芸へと転身した。近年は薪焼き陶芸の創作、陶磁文化の研究、伝統陶芸技術や薪焼きの技能研修などに力を入れている。また国際交流の催しや台湾の陶窯文化の普及につとめている。

2001年、全国歴史建築百景に選ばれる。2002年、苗栗県歴史建築に登録。2012年、二代目窯主、林瑞華は「台湾工芸の家」に選ばれ、竹南蛇窯を古窯生態博物館の理念で経営し、台湾陶窯文化と薪焼き陶芸の生活美学を伝承し、伝統工芸と現代芸術の間に自らの道を切り開く。

蛇窯

その昔「蛇窯」は、台湾の日用陶器を焼くのに使われ、全国各地に分布していた。「蛇窯」という名は、蛇のように曲がりくねった窯だとよく誤解を招くが、実際は蛇のように長細い窯だということだ。中間に仕切った窯炉はない。山の面に沿って建てられるため、遠くからは一匹の火龍のように見える。古代中国の朝廷が経営する窯は「龍窯」と呼ばれ、中国大陸では長く発達して80〜100メートルにも及ぶものもある。

明末期清初期のころ、閩南からの移民が台湾へ渡ってきてから「蛇窯」と呼ぶようになった。先人たちは皇帝の権威を恐れ、「小龍」すなわち「蛇窯」を名乗った。中国大陸建国後、「蛇窯」は「龍窯」と改称され、逆に「蛇窯」は珍しくなった。

人物


 

竹南蛇窯創始者-林添福

林添福は1926年に生まれる。「添福師」とも呼ばれる。13歳で福州の師匠より陶芸を学ぶ。早くより天賦を顕し14歳で陶師となり生涯を陶芸と共にする。土の採取から成形、窯建て、窯焼き、彫塑、絵付けまで、すべての技能に精通している。手ひねりや原型彫塑や型取り、陶のテーブルセット、大急須、鼎、香炉などの作品はどれも誠実で純朴である。台湾伝統民俗陶芸の精髄を保っており、熟練の手技は敬服に値する。伝統陶芸文化の生き字引ともいえる。

伝統陶芸師の多くは一つの技能しか持たないため、社会がめまぐるしく変化した50年代に、淘汰せざるを得なかった。林添福は時代の変化に沿って、豊富で多元的な作品風格を表すだけでなく、さらに尊いのは彼の製陶に対する情熱と鍛え上げられた工芸技術によって、先細る伝統陶芸文化の中で、今も衰えることなく伝統陶芸文化に大きな光を放っているのである。林添福は「伝統陶芸文化資産の重要保存者」であるだけでなく「伝統陶芸技術伝承の重要人物」でもある。「竹南蛇窯」は彼の導きによって、台湾薪焼き陶芸の重要拠点となった。彼は飾らない楽観的で爽やかな性格で、惜しみなく後進を指導し、2016年に「工芸成就賞」を受賞、一生をかけた台湾陶磁工芸への貢献を表彰された。


 

竹南蛇窯二代目窯主-林瑞華

「竹南蛇窯」二代目窯主
苗栗薪焼き陶芸創作協会2、3期理事長
中華民国匠師協会理事

林瑞華は長期にわたり薪焼き陶芸に研鑽し、「釉母」を創作。20年来の薪焼き高温焼締めの模索の成果を発表した。彼の作品はふくよかに厚く身が詰まり、大地のような寛容さを感じるのは、彼の誠実で純僕な生活によるものだ。彼の作品は台湾の土地そのものから生まれ出たものだと言える。つづいて「三稜缶」シリーズの後「脈」と「宝島台湾」、2017年には「明」と「方舟」シリーズを発表した。

1997年、新しい小型薪焼き窯を築くと、火と灰の表現に専念し突破していった。高温の世界を探索することで、これまで見たこともない美しい世界を見ることができた。しかし温度の突破が最終目標ではなく、むしろ人々の陶芸に表面に対する思い込みを突破することが重要だ。地球という最大の窯炉に学び、釉の起源に立ち返る「釉母」。最も天然の方法で土から宝石鉱石のような質地を焼き出す。それが林瑞華が推し広める「釉母」の理念であり、人類の土と火の文明に対する常識を覆す、陶芸の新しい道なのである。

2016年彼は薪焼き窯の最高温度1563℃の世界ギネス記録を達成した。薪焼き陶芸は、正確に操作すれば環境に優しく、煙も少なく、釉薬をかけなくても彩り豊かな自然の質感が得られる。大量に陶土を精製することも、金属で環境を汚染することもない。


 

アートディレクター鄧淑慧

清華大学社会人類学修士
「竹南蛇窯」アートディレクター
台湾陶窯文史著者

陶土は彼女の手の中で情感を表す蝕材である。女性の情感を持った作品は半抽象の人物や魚や猫、鳥などに姿を変え人々の感情に訴える。作品は母性的な包容力、女性の強さ、同時に女性の気だるさ、憂鬱なども表している。彼女の陶作は薪焼きの特徴に馴染んで彼女自身の朴訥な個性をも醸し出している。

陶芸以外にも、人文研究の専門を生かして、台湾陶磁史や伝統陶芸技能研究、さらには台湾の薪焼き陶芸の美を多くの人に広めるべく普及に尽力している。